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忠臣蔵


誰でも一度くらいは耳にした事があるであろう
「忠臣蔵」…

ちなみに私は忠臣蔵が大好きでした
テレビとか何回も見ました…
でも、大人になって すっかり汚れてしまった私は
素直に美談を美談として受け取れなくなっています
どうしても穿った考え方をしてしまいます

と言うわけで今回は、忠臣蔵はホントに美談か?がテーマです。

それでは、簡単に忠臣蔵の説明…

元禄14年
赤穂藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が江戸城中・松の廊下で
高家筆頭の吉良上野介(きらこうずけのすけ)に対して刃傷に及び
赤穂藩は「お家断絶」浅野内匠頭は切腹
元禄15年
亡き殿の無念を受け国家老上席の大石内蔵助(おおいしくらのすけ)を筆頭に
本所松坂町の吉良邸に討ち入り、見事に無念を晴らすものの
その後、全員切腹…というもの

これだけ見れば、浅野内匠頭は良き家臣を持って幸せだ
正に忠臣だなぁなんて思いますが
ホントにそうですか?

まず、松の廊下で刃傷沙汰を起こしたって事について…

松の廊下で刃傷沙汰を起こせば如何なる事情があろうと
当人は切腹・お家は断絶(つまり赤穂藩は取り潰しって事)
これは前々から分かり切ってた事です。
一国一城の主たろう者が知らぬ筈は御座いません…
知ってて切り付けた訳です…

明らかにヤツは我慢が足りません…

自分の下には何人もの家臣やその家族が居ると言う自覚が
全く持って足りません…

如何なる事情があろうとも、ここはグッと我慢するべきじゃ無かったですか?

しかも、そんな浅野内匠頭の辞世の句は、こんなんです…
『風さそう 花よりもなお 我はまた 春の名残りを いかにとやせん』

未練タップリです…っちゅうか、受け取り様によっては
「敵討ちきぼ〜ん(敵討ちしてくれ)」←2ちゃんねら風に
なんて言ってるようにも思えます…

『春の名残りを いかにとやせん』この辺りなんか私には敵を取ってくれと
訴えているようにしか思えません…

松の廊下で切りつけた事件が起こったのが3月でした(たしか3月14日だったと思います)
この「春の名残り」(無念)を「いかにとやせん」(なんとか晴らしたい、または晴らして欲しい)

ね?そんな風にとれるでしょ?


この後の第二の事件もそうです

赤穂藩の取り潰しの後、浅野内匠頭の弟の浅野大学をたて
お家の再興を願い出るが、これが通らない…

他に士官(武士としての再就職)の道も なかなかに厳しい…

ええ〜い!もう吉良の野郎をやっちゃえ!!
なんて思ったんじゃないんですかね?

どうしても俺には以下のような会話があったと思えて仕方ありません…

A「おいおいおいおい!聞いたか?」

B「何を?」

A「ウチの殿様が松の廊下で吉良殿に切りつけたらしいぞ!」

B「マジか!?」

A「そうらしいで!」

B「原因は?」

A「何か吉良殿にイジワルされたらしい」

B「イジワル?子供かよ!我慢しろよ〜(泣)」

B「俺等どうなるんや?」

A「とりあえず、大石殿に相談に行くか?」

B「そやな…」

で、この話しを聞いた大石内蔵助が…

大石「とりあえず、弟の大学をたてて再興の道を探ってみるか…」

A・B「そうですね…」

その、お家再興の道も閉ざされた赤穂藩の侍達
今となっては浪人だが…

A「ホンマに、エライ事してくれたな」

B「そやな…」

C「どうしますか?大石殿」

大石「そやな…事の始まりは吉良か?」

A「そうです」

大石「吉良殿を殺っちゃう?」

一同「そうですね!」←森田一義アワーの客のように

B「でも、それやっちゃうと切腹になるんじゃ?」

大石「生き恥を晒して生きるより良いやろ?」

大石「みんな美談として語り継いでくれるで?」


こうして生き様よりも死に様を選んだ結果が
あの事件だったんじゃないんですかね?

そうして、語り継がれる内に
より美しく美談として語り継がれていったんじゃないんでしょうか…

まあ、ホントのところは全く別の所にあるのかもしれませんが…

私は我慢の足りない殿を持った赤穂浪士が不憫でなりません。


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